No. 作品名 号数
1 赤峰 SM
2 秋色と富士 SM
3 SM
4 赤富士と芦 SM
5 赤不二 SM
6 赤富士と残月 SM
7 雪煙ノ夜 SM
8 不動明王 醍醐寺より SM
9 富士の秋 SM
10 SM
11 昇陽 SM
12 笹と富士 SM
13 湖上の月 SM
14 新緑の頃 SM
15 湖上ノ朝 SM
16 雪の朝 SM
17 秋月 SM
18 旭日 SM
19 富士ノ朝 F3
20 湖上の朝 F3
21 白峰 F3
22 松と富士 F3
23 春宵瀬戸 F3
24 月下波 F3
25 白牡丹 F3
26 白峰を望む F3
27 富士冠雪の朝 SM
28 紅不二の朝 SM
29 湖国の冬 SM
30 昇陽 SM
31 富士遠望 SM
32 赤不二 SM
33 月と富士 SM
34 椿 SM
35 湖畔の朝 F3
36 松と富士 F3
37 葦と月 F3
38 京錦椿 F4
39 虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ) F4
40 F4
41 地天 醍醐寺十二天 屏風より F4
42 秋月 F4
43 F4
44 霊峰と月 F4
45 旭日 F4
46 595 月下波 F4
47 467 牡丹 F4
48 蓮の輪廻より 秋 F6
49 瀬戸の春 F6
50 花菖蒲 F6
51 東寺紅枝垂桜 F50
52 日天 東寺十二天 屏風より F6
53 赤不二 F6
54 不動明王 醍醐寺より P8
55 富士四季より 秋 F8
56 198 湖上朝富士 F8
57 月夜雪中の富士 F8
58 波と富士 F8
59 衰華の歌A M8
60 衰華の歌B M8
61 富士四季より 冬の朝 P8
62 残月怒涛 F8
63 昇陽の海 F8
64 富士四季より 春 F8
65 不動明王 醍醐寺より P10
66 地天 東寺十二天 屏風より P10  
67 霧ノ朝 F10 
68 白峰と海 F10 
69 花菖蒲 F10 
70 夏富士 F10 
71 日の出 F10 
72 冠雪の富士 P10
73 臥龍桜と月 P10
74 朝富士と笹 P10
75 神々の座 P10
77 588 月と塔と桜 P10
76 管菊 P12
78 旭日 P12
79 宮島ノ春 厳島神社より P12
80 月下波 F15
81 伊舎那天写(東寺十二天屏風より)No,1 15P
82 帝釈天写(東寺十二天屏風より)No,2 15P
83 火天写(東寺十二天屏風より)No,3 15P
84 焔摩天写(東寺十二天屏風より)No,4 15P
85 羅刹天写(東寺十二天屏風より)No,5 15P
86 水天写(東寺十二天屏風より)No,6 15P
87 風天写(東寺十二天屏風より)No,7 15P
88 毘沙門天写(東寺十二天屏風より)No,8 15P
89 梵天写(東寺十二天屏風より)No,9 15P
90 地天写(東寺十二天屏風より)No,10 15P
91 日天写(東寺十二天屏風より)No,11 15P
92 月天写(東寺十二天屏風より)No,12 15P
93 花菖蒲 M15
94 蓮の輪廻より 初秋 80変形2000万円
95 富士の春 富士六景より P20 
96 夏富士 富士六景より P20 
97 秋月 富士六景よ P20 
98 雪の来る頃 富士六景より P20 
99 赤富士 富士六景より P20 
100 旭日 20P
101 冬の朝 M30
102 黎明 M30
103 月と笹 M50
104 太平洋の朝 M50
105 月下富士 M50
106 赤き神々の座 F50
107 伊舎那天写(東寺十二天屏風より)No,1 60変形
108 帝釈天写(東寺十二天屏風より)No,2 60変形
109 火天写(東寺十二天屏風より)No,3 60変形
110 焔摩天写(東寺十二天屏風より)No,4 60変形
111 羅刹天写(東寺十二天屏風より)No,5 60変形
112 水天写(東寺十二天屏風より)No,6 60変形
113 風天写(東寺十二天屏風より)No,7 60変形
114 毘沙門天写(東寺十二天屏風より)No,8 60変形
115 梵天写(東寺十二天屏風より)No,9 60変形
116 地天写(東寺十二天屏風より)No,10 60変形
117 日天写(東寺十二天屏風より)No,11 60変形
118 月天写(東寺十二天屏風より)No,12 60変形
 

十二天とは

 

 日本に仏教が伝えられて以来、四方を守護する護法神としては四天王が中心的役割を担っていた。

 しかし密教伝来以降は、次第に四天王に代わって十二天と呼ばれる神々がその役目を引き継ぐことになる。

 十二天は、四方四維を守る八尊すなわち毘沙門天(北)・伊舎那天(東北)・帝釈天(東)・火天(東南)・焔魔天(南)

・羅刹天(西南)・水天(西)・風天(西北)に、上下二方を守る梵天・地天、日月の神である日天・月天の四尊を加えた十二尊からなる。

 これらはいずれもインドの民俗的神々であったが、密教に摂り込まれて護法神に変化したものである。

 

 

十二天屏風

六曲一双

 

 この十二天屏風は、建久二年東寺長者俊証が潅頂院供養にあたって、宅間法橋勝賀に描かせたもので、

図上の種子は仁和寺守覚法親王の書と伝えられている。

古くは潅頂の際、楽人たちが十二天の装束をつけて行列する習わしであったが、装束が紛失したため略儀として十二天屏風を制作して道場内に立てたのがその初めだといわれる。そして「東宝記」の著者杲宝の南北朝時代には、新旧二様の屏風があり、これが新様に属することが記されている。

 屏風仕立ての十二天像がすべて立像になっているのは、行道十二天の代用形態であることを暗示する。また、筆線の大胆なまでに太さに抑揚をつける描法や簡明で新烈な色彩対比の描法は、宋画の強い影響を受けたものと考えられている。