「太閤殿下お発ち」

 醍醐寺では毎年、四月の第二日曜日に太閤行列の祭がある。桜前線に関係なく、あくまで第二日曜日なので、満開の年もあれば三分咲きの年もある。運悪く四月十四日に当たったりするとちょっと淋しい。桜は盛りをとうに過ぎている。
今年は四月十一日だった。そして、太閤行列の主役の太閤秀吉に扮したのが我が夫であった。そして、私が北の政所を演じることとなった。
 祭も近づいてきた日、醍醐寺の総長が訪ねて来られた。夫に太閤役をということだったが、こんなに直前になって話があるのはおかしい。これは大役なので招待客選びや準備にかなりの時間が必要になる。やはり訳があった。今年の太閤役に決まっていた人の体調が思わしくなく、急遽代役を立てねばならぬことになり、ちょうど襖絵を完成し、マスコミにも取り上げられた夫に白羽の矢が立ったのであろう。この役はこれまで、財界の大物といわれる人が演じることが多かった。松下幸之助や永野重雄、塚本幸一など錚々たるメンバーである。今年の太閤に予定されていた人も、誰もが知る財界人であり、本人は楽しみにしておられたらしいが、大事をとられたと聞いた。
 「同じやるなら、もっと若くて綺麗な時にやりたかったわ。」
無念そうに言う私に、総長の横に座っていた学芸員が、すかさず言った。
 「奥さん、そんなもん、わかりますかいな。若うても年取ってても同じですがな。皺なんて見えませんよ。真っ白けに塗りこめるんだから。」
 「それは違う。反対よ。白塗りすればするほど老いが目立つ。昨年か一昨年だったか忘れたけど、テレビに大写しになった人の顔、すごかったもの。怖かった。」
 私は常々、二歳下の妹から、若作りすると老いが目立つからくれぐれも気をつけるようにと言われている。
 「実はあの化粧なんですが、昨年の出演者が、そろそろ普通の化粧にしてもいいんじゃないかと、化粧する方の所に言っていかれたのですが、頑固な方で、時代考証をきちんとした上でのことだと譲られなくって。」
 けれども、あそこまで怖い顔にされようとは思わなかった。
 土曜日の深夜まで大雨だった。雨だけでなく風も強く、まるで嵐だった。天気を案じる私に、それは奥さんの精進次第ですがなと寺は言った。ということならば、私の精進はすこぶる良かったことになる。当日も朝のうちは雨がちらついていたが、行列が出発する午後一時に合わせたように快晴になったのだから。
 当日、化粧に手間取るからということで、女性は朝8時半に集合だった。持参するものは肌襦袢と紐数本、足袋、タオル数枚、化粧を落とすためのクレンジングクリーム。あとは貸してもらえるとのことだった。
 衣装が置いてあるという部屋に入ると、十人くらいの衣装が二列にずらりと置かれている。どれでも好きなのを取ってくださいというのを聞いて、なんだなんだと思った。と言うのは、行列に出演する男も女も、身長と体重から着物の寸法がわかるから全員に訊いて提出してくださいということだったので、私は二十人近いメンバーにいちいち電話をかけて訊き出したのだ。着物が合わなかったら困るので、ほとんど正直な申告だったと思う。男性は足袋も借りられるというので、そのサイズまで訊いてまわった。そちらは役に立ったのだろうか。
 私と共に、真っ先に部屋に入った妹は自分の歳もかえりみず、一番赤いのに飛びついた「若作りすると老いが目立つ」という、いつもの賢明なアドバイスはどうしたのだろう。
 この行列に際して、私が用意しなくてはならなかった人物は、側室八人と武士七人、そして秀頼とその乳母。側室はすべて私の姉妹、従姉妹、姪、友人になってしまった。二十代は二人だけで、あとは側室というにはあまりに恐ろしい歳の女で固める結果になった。秀吉はその出自があまりよくなかったコンプレックスからか、側室には家柄のよい若い美女しか選ばなかったという。秀吉が今日の行列を見たら、驚愕したであろう。
 北の政所の着物だけは床の間に置かれていた。よく見れば側室の着物より幾分豪華であった。勿論、華やかさはなかった。花見の日、政所は50代であったはずだから当然のことである。
 着物を確保しておいてから、別室へ化粧をしてもらいに行った。側室以外の侍女たちは、日本芸能という会社から派遣されてきた若い女性たちだったが、もう化粧を始めていた。彼女たちはごく普通の化粧だった。普通と言っても、勿論、白塗りであって、今の化粧ではない。ただ、眉を元来あるべき位置にひき、唇全体に紅を塗るという意味である。政所と側室は見るも無惨な化粧をほどこされる。まず、顔に究極の白塗り。首や手にも塗るのかと思ったが、顔だけだった。これはいかにも省略という気分がしたが、あの時代にどうしたかは訊かなかった。それから眉、これが最大の問題である。本物の眉を油や強力な白粉で塗りつぶす。しかし、あるものを消し去ることはできない。塗っても塗っても、薄っすらと本物の眉が見える。それは無視して、それより数センチ上、言ってみれば、額の真中に太短い眉を書く。想像して欲しい。眉を四つ持つ女。これだけでお化けの世界だ。テレビで見る、平安時代の貴族の化粧である。口紅は口の真中にちょこっと。アイラインは無しで、マスカラだけ。目尻にほんのり赤い紅。このあたりは舞子さんの化粧に似ている。できあがった自分の顔を見て、眉目秀麗、明眸皓歯の二つの熟語が浮かんだ。要するに、人の顔は、眉と目と口元で決まるという意味である。その重要なポイントを壊してしまうのだから、美しくなるはずがあろうや。
 「行列までに時間がありますけど、自分で化粧直しは決してしないでくださいよ。皆さんが持ってはる白粉と色が違いますから、きな粉をまぶしたような顔になりますので。」
 頑固にこの化粧法を守っているのはこの女だなと思いながら、私に化粧をしてくれている年配の女性を見た。化粧が終わった順に、衣装室へ戻って着替える。ここには、やはり専門家の男性がいて、一人ずつ着せてくれる。自前の肌襦袢の上に長襦袢、その上に着物。帯は細帯なので、現代の着物のようにかっちりした着付けではない。ゆったりとしている分、油断すると簡単に着崩れる。打ち掛けは羽織らず、元の化粧室に行く。鏡の前で鬘を付ける。この鬘がまたひどい。何故なのだと叫びたくなる形をしていた。
 「今年は、淀君より政所の方が綺麗と、皆が言うとります。」
 例の権威がお上手を言った。お上手に決まっている。いや、元の顔より汚くして、綺麗になったというのは、お上手ではなく嘘だ。この顔で出ていくのかと思っただけで気持ちが萎える。次々に、鬘を付けた側室が完成していく。姪が鏡の前に座っている。絶世の美人の側室で、この花見の最中、淀殿と盃を争ったと言われる松の丸の役である。妹が我が娘にと、ひったくった役。鬘を付けてできあがったのを見て、そこに居た侍女たちが口を揃えた
 「わあ、綺麗。そのまま大河ドラマに出られそうや。」
 確かに、21歳の姪の顔は白塗り化粧も滑らかにのり、私たちほど醜くなかった。彼女が私の傍に来てささやいた。
 「伯母ちゃん。お母さんを見て。志村の馬鹿殿みたい。」
 思わず振りかえった私の目に入ったのは、やっと鬘を付け、鏡の前で我が姿と対決している悲壮な妹の顔だった。ほんとだ。まったくその通り。ドリフの番組を見ない私も、志村の馬鹿殿は知っている。爆発しそうな笑いをどうやって押さえたらいいのか。
 「リナ。笑うたらあかん。化粧が崩れる。顔で笑わず、体で笑う。」
 それは難しい作業だった。私と姪は、小刻みに体を揺すり続けたが、顔の筋肉は動かさないようにした。妹は後になって白状したが、この時は驚愕のあまり、自分の顔をつぶさに見る余裕がなかったが、トイレに行った折に、洗面所の鏡の中、間近に迫る我が顔に、持ったハンカチ取り落とし、卒倒しそうになったらしい。さもあらん。私とて同じ思いだった。
 全員、変装し終わった時点で、夫と私と息子は奥の間で、他の侍や側室たちは、別の大きめの部屋で昼食をとった。男性は化粧はせずに、ただ頭に被り物があったりする程度で、武将の扮装をするだけだから、そうおかしくない。というより、男ぶりが上がっている。太閤役の夫だけが、髭を付けていた。
 その後、私たちが特別に招待した客たちが、順番に部屋に入って来て、一緒に記念撮影をした。招待客は、すでに別の場所で弁当を振舞われていた。
 親しい作曲家が、廊下から私を見て、爆笑した。
 「やあ、奥さん。なんだ。今日のは綺麗になる化粧じゃなかったんですねえ。」
 側室同士、互いを笑い合ってはいたが、第三者からの批評はこれが初めてだった。驚くことも怒ることもない。ごく正直な感想だった。しかし、ひどいではないか。そんなふうに思ったことをそのまま口にしていいのか。私の顔が引きつっていたのを察知したのか、彼はあとから、でも綺麗ですよ、とみえみえの 世辞を感情を込めずに言った。正直は美徳ではない。
 私は半ばやけになって、出てきたビールを飲んだ。こんなに厚塗りしてるんだもの、アルコールで少々赤くなってもわかるまい。
 淀殿が私たちの部屋へ挨拶に来たのは、その後だった。淀には毎年、踊りの名取りがなる。というのは、何万という観光客の前で踊ることが淀に扮する人の役目であった。大先生が出場なさる時は、ちょっと悲惨らしい。六十を超えた淀殿になる。今年は同じ名取りでも、弟子の方だったので幾分若かったが、四十代半ばにはなっていただろう。丸顔のふっくらした顔立ちで、私たちと違って、首も手も真っ白に塗ってある。秀吉と政所と淀殿の三人で記念撮影をした。この時は気がつかなかったのだが、後で側室役の従姉妹たちに言われて、あっと思った。
 「ちょっと、ちょっと。淀殿、見たやろ。なんで、一人だけ化粧が違うの。」
 「えっ、どこが違うてたの。おんなじやと思うたけど。」
 「眉がある。眉が。普通の眉。それに口紅も、ちゃんと塗ってある。一人だけ綺麗な化粧してはる。許せん。私たち、こんな醜い化粧されてんのに。」
 そう言えば、鬘も違う。豪華である。間近で見ると、結構、厳しいものがあったが、遠くから見ると、きらびやかな雰囲気で綺麗だった。私たちは、遠くから見ても近くから見ても、ただただ怖かった。
 その後、三宝院の中で、いくつかの儀式があって、行列出発の時刻がせまってきた。出発前に化粧を直してもらう約束だったのに、そんな時間はなさそうだ。コンパクトを出して顔をチェックしたら案の定、ひび割れだらけのひどい状態になっている。もうどうでもいいやと思ったとたん、トイレに行きたくなった。 行列の担当者に、トイレに行く時間があるかどうか訊いた。いいですよと言いつつ、彼の目は、私のトイレ行きを断固拒否していた。怯んだ私は、我慢しようと思った。でも、いつまで。予定表では、行列が再び三宝院へ戻ってくるのは二時間後だ。我慢するには長すぎる。私は決心して、広い寺の中をトイレに向かって走った。方向がよくわからない。さっきの部屋についていたトイレは確かこっちの方だったと見当をつけて進んだ。全速力で走るには、打ち掛けが邪魔になる。私は走りながら打ち掛けを脱ぎ捨てた。無事トイレにたどり着けたが、今度は帰る方向がわからなくなり、パニックに陥った。どうして私はいつも、こんな大切な時にドジを踏むのか。ひとけのない寺の奥で私は突っ立っていた。その時、はるか彼方に、脱ぎ捨てた私の打ち掛けが見えた。天の助け。打ち掛け目指して走った。走りながら、打ち掛けを羽織った。廊下を庭近くまで進んでいたご一行様に、ぜいぜい言いながらやっと追いついた。
  草履がずらりと並んでいる。ここでも、政所と淀の草履だけ、鼻緒に模様があった。庭に下りて、打ち掛けを腰紐ではしょってもらう。それから小袖被衣を貰う。身分ある女性が外出する時に両の手で自分の頭上にささげ持ち、顔があらわになるのを防ぐためのもので、アラブの女性の覆面に似たところがあるが、覆面よりずっと色気がある。透き通った薄絹を通して、顔が見え隠れする。いずれにしても、有難や、これで顔が隠せる。夫の方を見ると、地面に置かれた輿に乗っている。傍へ行くと、私を見た。
 「おまえ、ちょっと、ひどい顔やぞ。ひび割れとる。その口の回り、なんとかならんのか。」
 なんとかなるなら、とっくになんとかしている。どうにもならぬから、焦っているのだ。行列に参加する二百人近い人間が庭に並んだ。特別招待客は廊下の欄干越しに、見物している。私の母も叔母も、その中に交じっていた。その時、若いお坊様のよく通る大きな声が響きわたった。
 「太閤殿下、お発ちぃー。」
三宝院唐門が開いた。これは勅使門である。平たく言えば、天皇家の使いの方がいらした時に使う門という意味だから、滅多に開くことはない門である。行列奉行を先頭に出発した。その後に旗持。それから法螺貝を持つ山伏が四十六人。楽人、舞人、朗詠衆、狂言師、茶人、兼哉、千成馬印持と続いて、やっと我が豚児扮する中山山城守が登場する。その後も多くの武将が続き、やっと太閤の乗る輿が現れる。この輿は六人によって担がれる。これ以上愛想のよい顔はできないといったふうの夫扮する太閤が扇を振っている。と言っても、これは後で写真で見た光景であって、私は輿より何人か後を歩いていたので、行列の間、夫の顔を見ることはなかった。輿のすぐ後は秀頼と乳母。その間にも太刀持や床几持がいる。やっと北政所が登場。政所、淀殿、側室が続くが、それぞれに侍女と笠持が付く。
 唐門を出ると、そこは六万五千人のギャラリーの待つ、桜並木である。これは、山科警察発表の人数として、行列後、寺の総長から教えられた。人、人、人の桜並木を一キロほど離れた金堂まで歩くことになっている。私は小袖被衣をできるだけ深く被って、顔を見られまいとした。友人知人も何人か来ている。この恐ろしい顔が、彼らの記憶に刻み込まれ、何年何十年経った頃に、その潜在意識の中からひょっこり顔を出して、彼らを脅かさんとも限らぬ。見せぬが友情である。
 行列は金堂までに、清滝宮で参拝する。これは太閤、秀頼、北政所、淀殿だけで、残りの者は、お堂の外、かんかん照りの中、待っていた。夕べの嵐からは想像もできぬほどの晴天になり、全員汗だくだった。日焼けの心配はない。この厚塗りはSPF百以上の日焼け止め効果があるはずだ。行列は金堂へと進んだ。「皺なんか見えますかいな。白塗りするのに。」と言った、例の学芸員が私の横へ来た。
 「奥さん、日本昔話の世界ですな。」
彼の頭に浮かんだのが、昔話のお姫様でないことだけは確かだ。よくて雪女、いや、そんないいものではなかろう。文字通りのお化け、それもちっとも可愛くないほうの。
 金堂前に作られた舞台で観劇が始まった。太閤以下武将側室は金堂の外に並べられた椅子にずらりと腰掛けて、舞台で繰り広げられる舞や狂言を観る。回りには、観光客がぎっしりと立って観てはいるが、先ほどの桜並木のギャラリーよりは少し数が減ったと夫が言った。私はもともと見てないのだから、人数の変化もわからない。これは後で友人に聞いてわかったのだが、桜並木で行列を見るぶんにはお金は要らないが、三宝院に入るのと、山門から金堂の方へ行くには入場料が必要だったらしい。両方一緒に買えば千円だったそうだ。
観劇中、横の夫を見ると、つけ髭がとれかかっている。
 「あなた、髭、髭。」
慌てて、自分の手で直そうとするが、余計に歪んでしまう。それを見ていた、担当者が、ここを出発する時に直しますからご安心をと言ってくれた。事実、接着剤を持ってきて夫の髭を付けなおしてくれたが、慌てていたのか接着剤が付きすぎて白いか固まりが見えてしまう。
 「いやだ、あなた。それじゃ、鼻くそつけたみたい。」
 「とってくれよ。早く。」
 「そんなもん、触りたくない。」
 「ほんとの鼻くそじゃないのに。」
 「かちかちでとれそうもないし、遠くからは見えないからいいじゃないの。」
 かくして、行列は、鼻くそをつけたままの太閤殿下を輿に乗せ、野点茶会のため、伝法院林泉へと向かった。池を挟んで真向かいに赤い弁天堂を見る位置に床机が準備されていた。池の向こうにいる観光客が、こちらに手を振る。正室側室引き連れ、威厳をもってにらみをきかさねばならぬ役まわりなのに、あろうことか夫は、池の向こうの見物人に大声で、ありがとうっと叫んだ。やめてよ、ロックの舞台じゃないわ。側室たちの後ろには武将が並んでいたが、私の真後ろにいた福島正則が感極まったような口ぶりでもらした。



 「奥さん、今日はほんまに、女連中はお化け大会ですなぁ。」
彼の意見はどこまでも正しい。彼の妻も小野於通役で出ていたが、彼は自分の妻を探し回ったらしい。真横にいたというのに。
 野点が終わると、行列は来た道を三宝院へ戻る。観光客はまだ大勢残っていた。
 「えらい年取った淀やなぁ。」
 人垣の中から声がする。私に聞こえるんだから、私の後方を歩いている淀君にも勿論聞こえているだろう。この声でも、白塗りしても年齢は決して隠せないことがわかる。私は自分が北政所の役でよかったと胸をなでおろした。この花見は1598年に催された。そして、政所は1542年の生まれということになっているから、この時56歳である。私の歳より上である。はるかに上と言うつもりはないが、上は上である。加賀の局を演じた高校時代の友人が嘆いた。
 「かなんなぁ。歴史に詳しい人がいてはって。『おかしいなあ、確か加賀の局は18で死んだはずやで、そやのになんでや、ちょっとひどい、あんまりやないか』いう声が聞こえたきた。どうやって顔隠そか焦った。」
 私は歴史に弱い。知っていたら、いくらなんでも彼女にこの役を渡すことはなかっただろう。彼女がいくら懇願してもだ。彼女が迷うことなくこの役を選んだわけが未だにわからない。訊いてみたいとは思うが、友情にひびが入りそうで訊けずにいる。
 行列は出発の時にくぐった唐門へと帰ってきた。全員が三宝院へ入ったところで、門は閉まった。全員で記念撮影があった。化粧は更にひび割れてゾンビ状態だろうと思ったが、幸い手鏡も持っていない。それに、ゾンビ仲間がいっぱいいる、心配することはない。
 さあ、いよいよ世紀の瞬間、化粧をとる時がきた。朝、着物が置いてあった部屋に戻り、まず着物を脱いだ。妹がやおら、馬鹿でかいクレンジングクリームの壷とティッシュペーパーの箱を出してきた。安売りで買ったクリームだから思いきり使えと言う。言われなくても使うに決まっている。この化粧をとるためだったら何でもするという心境だった。入りたければ風呂もあるとのことだったが、湯船につかったらそれこそ、ずるずると四百年前に沈み込んで浮かび上がれないような気分だった。お化け化粧をはずして、現代の化粧をした。
 「この化粧で、今からもう一度、行列したい。」
と妹がせつなげな声を出した。回りを見ると、側室は全員、美人である。整形手術に劇的に成功した女のように変身している。
 今回の経験から推察するに、昔、お多福が美人だったというのは確かであろう。あの化粧にはまん丸顔の平らな顔が必要だ。細い顔や、凹凸のある顔は似合わない。美人の概念は時代によって変化するということを実感した。現在、テレビに出てくる、針金のようなアイドルがあの時代に行ったら、見苦しき女として、ひとまとめにして加茂の川原でさらし首になるやもしれぬ。
 太閤行列が無事終わり、友人知人が、その時の写真だと持参してくれたり、送ってくれる。実物も怖かったが、写真はもっと怖い。行列に参加しなかったし見物にも来られなかった姉に、この折の写真を見せたら、自分の妹たちや従姉妹たちの艶姿に、ひっくり返って笑った。笑いすぎて死んでしまうのではないかと心配したほど笑い転げ、正気に戻ってから満足気に言った。
 「私、ほんまに出んでよかった。近頃私が下した決断の中では最高のものやわ。」
姉がこんなに思慮深い人間とは、その時まで知らなかった。
 数日後、一緒に出演した友から電話があった。彼女の家には、私の普通の着物姿の写真がたくさんある。殆どが彼女のご主人の主催のパーティで撮ったものだと思う。その私の写真を綺麗だと誉めてくれる人があったら、おもむろに、行列の時の写真を取り出して、
 「はいはい、そんなら、こっちはいかが。」 
 そう言いながら、行列の時の写真をご開帳となるらしい。例外なく客は絶句し、深いため息と共に去るらしい。小川土佐守の役で行列に加わった彼女の弟も、自分の姉がわからなかったという。そして、彼は大変有効なアドバイスをしてくれたそうだ。
 「姉貴、その写真、マンションの入り口に貼っといたらええ。これ以上の魔よけはない。」
 それはグッドアイデアだ。あの写真にそんな使い方があるとは気がつかなんだ。これは真っ先に妹に教えてやらねばと思った。
 醍醐寺から、全員の記念写真やそれぞれが歩いている場面の写真などがきた。こちらの方は割にみっともなくないのもある。それを言うと、即座にこんな返事が返ってきた。
「それだけ選ぶのにどんな時間かかったか。奥さんのましなの取り出すのにそりゃ苦労しましたで。それでこんなに遅なったんですわ。」

この話には更に恐ろしい後日談がある。
 一ヶ月後、夫が奈良へ行った。建設中の万葉ミュージアムに収めるための作品依頼を受けたのだが、これまでにも依頼を受け、すでに作品を納めている絵描きも合わせて、万葉についての講義を受けたり、スケッチをしたりする会が開かれ、参加したものである。NHK主催の一泊旅行だったが、帰宅するなり夫は報告してくれた。こんなオモロイことがこの世にあろうやといった調子で語ってくれた。
 「驚いたぞ、あのおばはんに又おうてしもうた。」
 「あのおばはんて、どのおばはん。」
 三十歳以上の女性は、全ておばはんになる。勿論私も立派なおばはん。ばあさんと呼ばれないだけましと、最近は思っている。
 「あのおばはんよ、行列の時の。」
 彼の言葉を要約すると、次のようになる。
 万葉人の服装をした若い女性をスケッチする時間があり、まず現代の普通の服を着たNHKの若い女性が数人現れた。器量のいい娘ばかりだった。ところがである。彼女たちが万葉の服装をして現れたとたん、夫は腰を抜かしそうになった。目の前にあの日が再現されたのだ。私たち側室がしたのとそっくりの化粧をほどこされた女たちが立っている。あんなものを見るのは一生に一度でいいと思っていたのに、こんなに早く二度目に遭遇するとは。傍に立っていたのが、その日の化粧を担当した年配の女性だった。そして、これがあの日、私たちに化粧をしてくれた当人だった。寺の言ったように、この道の権威なのだろう。それに気づいた夫は、こんな美しくない化粧は止めるほうがいいんじゃないかと勇敢にも、彼女に言った。プライドを傷つけられた彼女は、事実は動かせないと、さも無知な男を見るように夫を見た。じゃあ、なんでそんな昔の化粧がわかるのかと詰め寄ると、絵が残っていると言った。絵なんていいかげんなものだと夫は思ったが、それ以上は逆らえなかった。私には言わなかったが、きっと、そのおばはんが怖くなった夫は、この間の太閤を演じた者だと、さっさと告白した。その言葉で、あらあら、太閤様、あの節はどうもということで、その場はおさまった。
 奈良旅行の時の写真はかなりの数だったが、その中に件の娘たちの写真もあった。それを見た時、私は叫び声をあげてしまった。私よりひどい。眉の位置は私の時と同じだったが、もっと太くたくましく描かれていた。
 ちょうどそれから数日後、テレビの歴史番組で、女性の眉についてふれていた。昔、眉と目の間が広いほど富裕になれると言われていたというアナウンサーの言葉に、それであんな化粧が生まれたのかと合点したが、本当のことはわからない。 あの化粧をしてよかったと思えることは、ただひとつ。素顔で人に会えるようになった。夫は昔から、うちのかみさんの素顔は恐ろしいですよと会う人ごとに言っている。私も全く同感だ。でも、あの化粧に比べれば、どうってことはない。それに、確かに、妹が言う通り、若作りするほど老いが目立つこともわかった。せいぜい年相応に装うことにしよう。


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