「いい人」宣言

 ある朝突然、夫が言った。
 「決心した。今日から、いい人になる。」
私は、まじまじと夫の顔を見てしまった。本気らしい。
  「どうしたの。今まで悪い人だったわけ。」
 「違う。お前に対してのこと。これから、お前にとっていい人になる。」
 「何かあったの。天の啓示とか。」
 「違う。昨日のことから、考えた。もう、あまり長生きできそうもない。お前に怨まれて死ぬのもどうかと思ってな。」
その前日、例の北白川の医院へ行ったのだ。相変わらず、気管支の具合が悪いらしい。車を駐車場に止めて、私は車の中にいた。屋根をスライドさせて透明ルーフにし、倒した座席から、ぼんやりと、そこに溜まっては流れていく水の玉を眺めていた。水玉がどの位大きくなると、線になって落ちていくか、小論文が書けるほど時間が経った頃に、夫が薬袋を大事そうに抱えて現れた。
  「ずいぶん遅かったのね。」
 「いや、今日は代診の若い女の先生でさ。」
 「ああ、それで時間がかかってたの。気が合ってしまったの。」
 「馬鹿。代診だから、間違いないように丁寧なんだ。それと、待合室の患者の手相を観てやった。」
 夫は昔から、熱心に手相の研究をしていて、近頃は特に、その辺の本職よりも当たると自慢している。どこに行っても手相教室を開いてしまうのだが、まさか病院の待合室で弁舌をふるっているとは思わなかった。
 「いや、待ってたのが俺より若い奴ばかりなんだけど、みんな爺さんばっかりで、あ、婆さんもいたけどな。」
 「それで、あなた、自分の歳を言って、お若いですななんて言われて、いい気になってたんでしょ。」
夫は自分が実際の歳より若く見えることを誇っている。聞かれもしないのに、自分の歳を言う癖がある。それで止めときゃいいのだが、ついでに私の歳も言う。私は歳相応に見える方だが、自慢するほどの歳ではないので、いい加減にして欲しい。
  「雨で仕事に行けない労務者が二人。その他の爺さんが二人。死にそうな婆さんが一人。全員、観てやった。」
夫は手相人相を観るが、決して悪いことは言わない。手相観は、基本的に人を励ますのが仕事である。よって本人が気にするようなことを言うのは邪道であるというのが、夫の持論である。
 「婆さんの生命線が切れかかってるんだけど、そうも言えんしな。仕事にあぶれた日雇いに、おぬしは現在、家庭内にいざこざを抱えとるなと言ったら、お前さん何でわかるんだとびっくりしとった。」
今時、波風立たぬ家庭を持つ者などまれであろう。多かれ少なかれ、問題を抱えて生きている。だが、口にすれば、夫の中の私の意地悪度が又上がるので、心の中でつぶやくにとどめておいた。
 「それより、あの代診、京大出らしいけど、長生きできるかな。顔色が悪かった。」
夫が医者の健康の心配をするのは今日に始まったことではない。自分の診断はさておいて、医者の顔色や人相から、彼らの将来を憂えるのが常である。
女の先生に待合室での占い教室、結構楽しそうな様子だったのに、どうして弱気になったのか知ら ない。
  「わかった、動けなくなった時に、私に蹴飛ばされたくないのね。」
夫は黙って白い目でこちらを見た。いや、あれは下手な流し目だったのかもしれない。