あの胸にもう一度

 結婚は「はずみ」でするものである。間違っても熟慮などしていたら永久に結婚などできない。「間違いのない相手」などいるはずがない。まして「理想の相手」などこの世にいると思うなかれ。理想はこの世に存在しないからこそ理想なのである。そんなものを追い求めていたら、あの世まで旅せねばならぬはめに陥らぬとも限らぬ。それより、もののはずみで、この世の人と結ばれる方がよい。
 時々、「私たち大恋愛の末、結婚したんです。」と言う人に会うことがあるが、聞いてみると、平凡な出会いであることが多い。こちらが気恥ずかしくなったりする。私と夫の出会いもありきたりである。
 大学を卒業して一度は故郷に戻ったものの、わけあって数ヶ月後再び京都に出てきた私は、なにをするということもなく、言ってみれば、青春のそぞろ歩きを続けていた。紫風居という、名は綺麗だが古ぼけた日本家屋の一部屋で、インドの香を焚きながらコルトレーンのレフト・アローンを聞き、吉野弘や黒田三郎の詩に溺れ、友と真夜中の円山公園へ桜を見に行くという現実味のない暮しをしていた。夢の中をさまよっているのは心地よいが、いつまでもそんなことを続けていられるわけがない。私にも現実を生きねばならぬ季節がきていた。
 それは、新聞の映画欄で始まった。その日も何の予定も無かった私は、友と映画に行く相談をしていた。すぐ近くの祇園会館にかかっていたアラン・ドロンの「あの胸にもう一度」を観ることに決め新聞を置こうとした時、真上の求人案内欄に目がいった。外国人相手の画廊が英語の話せるスタッフを募集していた。正直言って、私は英会話は得意でなかった。高校時代までに私の習得した英語はあくまで受験英語であり、そのかいあって入試に成功した後に学んだのは文学としての英語であり、実用的な英語とはほど遠い。今思っても、よくもあつかましく面接を受けたものだと冷や汗が出る。
 その画廊は紫風居から祇園会館へ行く途中の、外国人観光客相手の陶器や絵画の店が並ぶ通りの一画にあった。今と違って、米国やヨーロッパの観光客は金持ちが多く、日本へ来た際に高価な美術品を買っていく者が多かった。外から覗いて、もし女店員が紺色の事務服を来ていたら店へ入るのは止めると言う私の為に、友がガラス越しに調べてくれたら、濃いピンクの仕立ての悪くないスーツを着た若い女性が二人いた。
 面接の結果、明日から来てくれということになった。待っていてくれた友に謝り、祇園会館へと急いだ。面接のおかげで大事な映画の最初のシーンを見逃したことを、私はその後長い間悔やんだ。後年、夫に「あなたのお陰であの映画のファーストシーンを見逃したのよ」と筋違いの恨み言を何回か言った。
 この画廊で夫と出会い結婚することになったのだから、職場結婚のようなものである。大恋愛したわけではない。ものはずみ、偶然。この世でおこる事は大概そんなところである。もしかして他の誰かと結婚していたらと思わぬ男も女もいないのではあるまいか。けれど、そんなことを考えることほど詮無いことはない。皆それを知っているので、赤い糸とか運命とかいう言葉でけりをつけようとする。
 私の場合、もし、新聞の映画欄に「あの胸にもう一度」というタイトルを見なかったなら、夫と結婚することはなかっただろう。それを偶然と呼ぶか運命と呼ぶか、いやいや、どちらの呼び方をしようと大きな違いはない。
 そして、その選択が正しかったか否かは、神様にもわかるまい。だから私は、少なくとも、明日の朝は夫と迎える。